それは、体験は「エピソード記憶」として人の脳に残るから。
エピソード記憶とは、言ってみれば「思い出」のこと。
例えば、学生のときの修学旅行先での出来事や若い頃に彼女と行ったディズニ―ランドでのほろ苦い思い出、子供の頃の怖かった体験など、大人になった今でも鮮明に覚えていることがある。
これらは、特に覚えようと意識したわけではないのにずっと覚えている。人の脳は、思い出=時間や場所、感情のファクターが伴う記憶を忘れにくいメカニズムになっている。エピソード記憶は、そういった特徴をもつ。
他方、「意味記憶」という記憶がある。
これは、言ってみれば暗記のこと。1192年に鎌倉幕府ができたことは、覚えようとしない限り覚えられない。
意味記憶は、時間が経てば経つほど、大人になればなるほど忘れやすくなる。「え~とこの人、え~と、あ~誰だったっけなぁ、え~と・・・あっ、キャリー・・・キャリーピャ、パ・・・あ~出てこん!」なんて、思い出せないのは意味記憶だったりする。
さて本題。講師の話を一方的に聞く座学の研修は、(たいてい話が退屈だったりするので)そこには特別な感情は伴わない。(強いて言えば、「早く終わんないかなぁ」といった負の感情があるくらい)体もほとんど動かさない。ましてやテキストの内容を覚えなければならないような研修ならば、意味記憶そのもの。
他方、ボードゲームを使った研修は、研修という名の体験そのもの。
頭や指先を使ったり、言葉を発したりして体験する。そこには、「楽しかった!」「難しかった!」「見事ゴールした!」「負けて悔しかった!」といったさまざまな感情が伴う。
しかも、ボードゲームなんて参加者(ゲーマー除く)の多くが普段しないことだから、余計に記憶に残る。
体験型研修は、エピソード記憶となって人の記憶に長く残る。その点が座学よりも優れている。